「医は仁術なり」——日本の医療において、あまりにも有名な言葉です。
医療は単なる技術ではなく、人を慈しみ、苦しみに寄り添う「仁」の道である。その精神自体は、間違いなく尊いものです。私自身、この考えを否定したいわけではありません。
実際、患者さんに寄り添うこと。不安を軽減すること。痛みを減らそうと努力すること。それは医療の根幹です。
しかし現代の日本では、この「仁」が、少し違う意味へ変化してしまったように感じています。いつの間にか、「医療者は耐えるべき」という意味へ変換されてしまった。
■ 削られ続ける医療者
長時間労働。昼休みなし。予約外対応。時間外電話。理不尽なクレーム。暴言。無断キャンセル。口コミによる人格否定。
それでも、笑顔で対応しなければならない。
少しでも毅然とすると、「感じが悪い」「冷たい」「上から目線」と言われる。まるで、境界線を持つことそのものが、悪であるかのように。
■ 本来の「仁」の意味
ですが本来、「医は仁術なり」という言葉は、そこまで単純なものではありません。
江戸時代の医師・大江雲澤は、「医は仁ならざるの術、務めて仁をなさんと欲す」という言葉を残しています。
これは、医療とは本来、決して綺麗事だけでは成立しない仕事だという意味です。人を切る。痛みを与える。限られた医療資源を配分する。時には希望通りにできない。
つまり、医療には本質的に"非情さ"が含まれている。だからこそ、意識的に「仁」を保とうと努力する——これが本来の意味だったはずです。
■ 「お客様対応」への変質
ところが現代では、この「仁」が拡大解釈され、「医療者は無限に要求を受け入れるべき」という空気へ変わってしまった。
近年の「サービス業化」もそこへ拍車をかけました。もちろん、昔ながらのpaternalismに問題があったのも事実です。患者さんへ丁寧に説明すること、不安へ配慮すること——それは極めて重要です。
しかし今度は逆に、医療が「お客様対応」へ寄り過ぎ始めた。Googleレビューで採点され、少し気に入らなければ低評価を書かれる。その結果、「嫌われないこと」が優先され始める。断れない。注意できない。境界線を引けない。
■ 境界線のない優しさは、必ず誰かを壊す
私はここを変えなければ、医療は持続できないと思っています。なぜなら、境界線のない優しさは、必ず誰かを壊すからです。
実際、今の医療現場では、優しい人ほど疲弊していく。真面目な人ほど、無理を引き受けてしまう。そして燃え尽きる。
その結果、スタッフが辞める。予約が取れなくなる。地域医療が崩れる。最後に困るのは、患者さん自身です。
だから私は、「仁」を捨てるべきだとは思いません。むしろ逆です。
本当に優しい医療を続けるためには、医療者自身が守られなければならない。算術を否定しない。経営を軽視しない。時間を有限資源として扱う。カスタマーハラスメントを許容しない。
それは冷たさではありません。"仁を持続させるための条件"なのだと思うのです。
※この記事はnoteにも掲載しています。

