開業して間もない頃のことでした。
当院では大きな手術は行いません。しかしラッツカテーテルのような日帰り手術は行っています。
手術の日というのは、一人の患者さんのために多くの人が動きます。看護師が準備する。薬剤を準備する。機器を準備する。手術室を確保する。そしてその時間、他の患者さんの予約は入れない。
手術時間になっても患者さんは来ませんでした。
何かあったのだろうか。事故かもしれない。体調不良かもしれない。心配になって電話をかけました。
すると返ってきた言葉は、「今、東京にいるから行けねーよ」でした。
■ そこには謝罪もなかった
私は怒るより先に、愕然としました。そこには謝罪もありませんでした。連絡を忘れていたという言葉もありませんでした。まるで、友達の約束を軽くリスケするように、さらっと……
しかし手術というのは、予約枠ではありません。その人のために、多くの人の時間が動いています。
私はその時初めて、医療者が当然のように背負っている「見えない負担」の大きさを実感しました。
■ 装具は、その人のためだけに作られる
装具外来でも似た経験があります。装具師が採寸し、製作し、完成した後になって、「やっぱりいらない」と言われたことがありました。さらに、「キャンセルポリシーだろ」と声を荒らげる。
レストランの予約なら、席は元に戻ります。ホテルの予約なら、部屋はまた貸せます。しかし装具は違います。その人のためだけに作られたものです。そこには、装具師の技術と時間が既に投入されています。
それでもなお、「キャンセルだからゼロに戻る」と考えられてしまう。
■ 「怒らせないこと」が優先される現場
こうした経験を重ねると、現場は少しずつ変わっていきます。本当は患者さんを分類したくない。先入観も持ちたくない。しかし人は学習します。
繰り返される暴言。理不尽な要求。突然の怒り。口コミによる攻撃。そうした経験が積み重なると、現場は少しずつ防御を覚えていきます。
腫れ物に触るように対応する。必要以上に謝る。言葉を選びすぎる。本来必要な説明よりも、「怒らせないこと」を優先してしまう。
■ 人を怖がる医療が始まっている
私は時々、これが本当に健全な医療なのだろうかと思います。
昔は「お医者様」がいた。今は「患者様」がいる。しかし、どちらも極端なのではないでしょうか。
医療は支配でもなければ服従でもない。本来は、病気や痛みに対して一緒に向き合う共同作業のはずです。
ところが現場では今、少しずつ人を怖がる医療が始まっている。その空気こそが、私には最も危うく感じられるのです。

